宗教について 〜 人の生と死を考える 注43

公開: 2023年3月15日

更新: 2023年4月10日

注43. 大学の誕生

5世紀末に西ローマ帝国が滅亡した後、イタリア各地に修道院が生まれ、ベネディクト修道会などの修道院において知的な探求が行われるようになりました。修道院では、特に、写本の筆写が行われ、写本が大量に造られ、他の修道院へと配布されるなどしました。中世の半ばを過ぎると、この写本の製作は、分業制を導入して、組織的に、かつ効率的に行われるようになりました。

修道院には、裕福な貴族の家に生まれた子供などが入り、基本的な教育を受けて、自給自足の生活をしながら、写本の製作などに従事していました。そのような環境の中で、イタリアのボローニャに、11世紀になって、教会の管理下になく、領主の監督下にもない、知的な活動を推進することだけを目的とした自治都市が誕生し、「大学」(ウニベルシタス)と名付けられました。

そこでは、ヨーロッパ各地から集まって来た、学生と教員が、それぞれの興味に従って、小さな建物の部屋で、教員の考えを学び、その成果を披露し合いました。大学は、自治権が認められていたため、教会の教えに反することでも、自由に研究し、議論することができました。教員は、大学から学位を授与されていなければなりませんでした。しかし、国籍は問われませんでした。

大学の持っていた唯一の権限が、「学位」を授与できることでした。ヨーロッパには、全体で30を超える大学都市が設立されましたが、大学で教えなければならない内容は、修道院時代からの慣習で決まっていました。学生は、教員に学費を支払って、それぞれの学問の内容を学びました。講義は、修道院時代と同じく、全て、ラテン語だけで行われていました。その意味でも、大学は多国籍な社会でした。

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